中の人の来歴について

3記事目、という事で少しずつ書いていって見ようとは思いますが、プロフィールに代えて私自身について簡単に説明させていただこうと思います。

私は1970年代半ば産まれ、転勤族の父親について生まれ故郷の愛知から福岡、千葉と住まいを転々とし、千葉の公立中学から東京の私立男子校を経て一年の浪人を経て、私立大学文系学部に入りました。

運の良い事に留年することも無く就職、当時は就職氷河期前夜のプチバブル期と言った時期。

たまたま大学のゼミの先輩に金融機関が多かった事や、父親も金融機関だった事から漫然と金融機関志望となり、OB訪問等を経て金融機関を回ったりするのですが、性格が合わなかったのかストレスが溜まったのかOBと喧嘩したりして結局内定を貰ったのは生保一社のみ。その時に「この生保に行く事が本当に良い事なのか」と悩み今まで全く受けなかったメーカーのOB訪問に呼ばれそのまま内定。生保の方にはアレやソレやと嫌な思いをさせられながら内定辞退し製造業に就職する事になりました。

就職当時やりたい職種って何?と考えると人付き合いがあまり好きでなかったという理由もあり経理を志望してました。でも当時「中の機能部門で働く前に現場を知らないのは良くないだろう」と考えた私は営業部門を志望し、自動車部品関連の営業部に配属されました。

自動車部品関連の営業部に配属されて2年経ち自分に取って最初の転機が訪れます。当時その会社は外資系企業とジョイントベンチャーを作るべく準備を行っており、自社とその会社の現地法人が1年後事業統合される事に。しかしながらその会社の現地法人の中で一つトラブルが発生し急遽人が必要になった事により私が出向する事になりました。そんな変化も良いか位に思って軽い気持ちで異動した私は環境の激変に巻き込まれ軽いランナーズハイ状態に。ここで自分の仕事に対する考え方は大きく変化したのかな?と今となっては思います。

出向して1年間は素晴らしい上司や同僚に恵まれ今までの2年は何だったんだろう?と思う程充実した毎日を送り、忙しいながらも社外に彼女も作り、その中でその彼女との将来を考えるようになりました。しかしここで2度目の転機、仕事に於いては事業統合目前にして私の処遇が決定、1年間仕事していた上司や同僚の居る職場から元居た職場に戻される事が判明。そこで私は転職を決意し当時住んでいた関東での転職先を探します。しかしその転職活動中彼女と破局、転職活動中に関東に残る理由も無くなった私に一番最初にオファーをくれたのは関東ではなく中部地方の企業でした。そこで私はその企業に内定を頂き、転職する事になったのです。

さてここから早足になります。何故でしょう?それはこれ以降の行動は今働いている会社で起きた事になるので詳細を書く訳にはいかないのです!!ということで簡単に。

営業部門で7年程仕事した後企画部門に移動し更に6年、その間に妻と出会い結婚、娘を授かります。その後インドはグルガオンに赴任し4年駐在する間に息子を授かります。そして4年駐在後インドネシアはジャカルタに転勤、赴任期間がそんなに長くならないという当初の予定から家族は日本に帰国し現在はジャカルタに単身赴任しています。

すごいですね。17年って4行に収まるもんなんですね。びっくりです。

今までツイッターで呟いたお話でいわゆるバズったお話がありますがその時のお話の幾つかがこの来歴の中の出来事に含まれています。おいおい思い出話として詳細を書いてみようと思います。

それではこのへんで!

にほんブログ村 海外生活ブログへ

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください