突然ですが「インドに行って人生観変わったぜ!」って文言時々聞きませんか?インドに住んで居た時にそういう話を聞いた時、私こう思ってたんです。「は?人生観変わる程の物か?今までの人生随分流されやすい人生送ってたんだな」って。今でもそういう言い方されているのを良く聞きます。でもインドから日本に一時帰国したり、インドネシアに住む場所が変わってから少しその考え方が変わりました。今日はその事について話したいと思います。
1.そもそも人生観って何?
質問です。「今の貴方の人生観について、簡潔に100文字以内で教えて下さい」って問題あったら答えられますか?
私、答えられません。ある具体的な何かについて個別にこう考えるとは言えても自分が人生について何を考えているか、それを普遍的なワードで答える事って相当難易度が高いんです。
つまり、人生観が変わったって言った人は「自分の中にあった物の考え方の一部が変わった」をインパクト大きくする為にそう言ったと考えます。そう、所謂「主語を大きくした」だけだったんだな。と私は考えました。
2.自分の考え方の一部が変わるとは?
主語を小さくして「自分の考え方の一部が変わった所ありますか?」と聞かれると、色々出てくるものです。
インドに着いて最初の1ヶ月あらゆる事が常識はずれで毎日がネタの連続、それが3ヶ月経って1年経って…4年目のある時気づくのです。
「今までビックリしてたことがいつの間にか『普通』になっちゃったな…。」と。
道路の脇に豚が寝そべって居ても、
バルコニーで2匹の猿がノミ取りして居ても、
どう考えてもこんな所に置かないだろうって所に「ATM募集」という貼り紙があっても、
「あーインドあるあるだよね」と受け入れてしまう。これって自分の中に持っている「普通」のしきい値が変わった状態だと思うんです。
3. 「何かが変わった」の表現の仕方の違い
この「普通」のしきい値が変わらないと色々厄介な事が起きるのも事実です。
これは聞いた話です。ある駐在員が後から奥さんを迎えるにあたり「100均で売っているようなプラスチックのカラーBOXのような物はあるか?」と聞かれました。
少々古い話なので今インドに進出しているMINISOはまだ無かった時の話です。駐在員はスペンサーズに行きそれに相当するものを見つけ奥さんに言います「『普通に』あるから大丈夫だよ」。そして奥さんが来るとキレる訳です。
「私はね!こういうカラーBOXに沢山のカラーバリエーションがあってその中からどれにしようかしら?って悩みたかったの!それが私に取っての『普通』なの!」
その駐在員さんにはお疲れ様ですとしか、かける言葉が当時見つからなかったのですが、そういう日本で過ごしていた時の「普通」は都度変わっていかないとストレスに塗れて大変な事になってしまう。
だから『慣れ』という形でしきい値を変えながら人は適応していくんです。
4. 新たに起きるProblem
インドでスキル『動じぬ心』を身に付けた人は、
「まあええんちゃう」
「大丈夫だ問題無い」
的な言葉を比較的容易に吐くことになります。
世の中には何とかなる事と何ともならない事がある。何ともならない事にキレても仕方ないから諦めよう。何とかなる事については取り敢えず何かやってみよう。となる訳です。
そういう変化、同じ境遇に遭った人は何となく分かるものですが、そうでない人にはその内面の変化が分からない。聞こえてくるのは「まあええんちゃう」「大丈夫だ問題無い」という言葉のみ。
そういう人が言う「大丈夫だ問題無い」という言葉を聞く時は気を付けてくださいね。恐らくその人はインドに住んでいる時にこんな事をインドの方に言ってる可能性が高いのです。
「君がNo Problemって簡単に言う事が私に取ってProblemなんだ!」と。
そう言われる側に人知れず自分の価値観が近づいている事に気付けているか?ちょっと疑問ではあります…。そんな思いを「インドの治安」と絡めて140文字に収めた物が下になります。
別にこれは海外生活に限った話ではありません。考え方の違う人にあった時に『普通』の概念がそもそも違うのは良くあること。
愛知県の人権啓発のポスターにはこんな文言があったそうです。
「私の普通とあなたの普通は違う、それが普通だ」って。
それに加え「自分に取っての普通も振れていく物だ」という事を忘れずに居たいと思います。
だから私は「Normally(普通は)」「Basically(基本は)」という言葉は特にネットに於いては使わないようにしています。受け手に誤解を与えないように心掛けたいと思っています。
インドの治安そのものについては、また機会があれば書きます。
それでは。