『淀み』という名の試練について

こんばんは。

何も書かないまま1週間が経ちました。

実のところネタが続かなくて…という訳でもありませんが、先週後半からタイに出張してて更新サボってました。

タイに出張するのはアジアのメンバーが定期的に集まって行う会議があったからなのですが、この時期に行くと多くの会社は1月に大規模な人事異動がある関係で、結構な頻度でこういう話が出てきます。

「年末で帰任が決まったよ。」

私自身、今居るインドネシアは2ヶ国目で6年目になります。

その前はインドなので、アジアで関係している面子はほぼ変わらず。

何が起きるかというと「私より後に来た人を先に送る」という現象が発生する訳ですね。

年中行事でもう慣れてしまっている部分もあります。

寧ろ私より長くいる人って会社の中で見れば数人しかいません。

ただ、こういう状況、実際に体験して見た人には分かるかも知れませんが、結構色々考えるきっかけになるんですよね。

勿論自分は必要とされているからここに居るんだと信じたい。

でも他の人よりも長い期間ここに居て、私はどれだけのアウトプットを出せているのだろうか?

変えられた事もあるけど、それ以上に変えられていない事も山ほどある。

変えられていない事は何故変えられていないのだろうか?

自分が拙いからなのか?

現地で人より長く経験をしているというのは確かに『強み』かも知れない。

でもそれだけが強みになってしまい単なる『長老化』してしまってはいないか?

6年居るとそういう気分に囚われる事、結構頻繁にあります。

大体こういうのが思い浮かぶ時って気分が上向きで無い時。

私は勝手にその前にも後ろにも進まずどんよりしている状態に名前を付けています。

『淀み』と。

私がアジアの地域に居て特に感じる事、

ここには恐ろしく流れが早くしっかり見て、動いていかないと簡単に取り残される部分と、
変わらない部分、変えようと思ってもゴムの沼に嵌ったかのように身動きが取れなくなる部分。

取り組む仕事、直面する課題、上の二つの状態を目まぐるしく行ったり来たりしていると思うのですよね。

今の有り様を変えようと足掻く時、変えなければいけないと思う危機感は周囲の流れの速さから生まれる事が多いんですが、そうやって変えようとした時に嵌ったりして何となく行き詰まり感が否めなくなる時は必ずどこかで訪れる。

そしてその『淀んでるな~』という感覚に囚われて行きます。

この『淀み』ってモチベーションがエサなのか結構食い散らかしてくれる訳ですよ。

そしてその代わりに『無力感』や『徒労感』というネガティブな感情をドンドン排出する。

その状態が続くとどうなるか、気分が腐り始めます。

「しょうがないよ、こういう国だから」「あーそんなのあるあるだよ」

…あー、また出てきてしまった『あるある』

海外の「あるある」に仕掛けられた落とし穴

こういう『淀み』がどういう時に感じ出すんだろう?と思い返すと、大体駐在開始して1年位経って、ある程度の事が掌握できるようになり、自分が何か一つの事に打ち込んで、打ち込んで…ふっと一息ついた時に振返ってこの気分になった事が多い気がします。

「俺ってここに来て何か変えられたのかなあ」 「ここに来た意味って何だっけ?」

休憩中の時とか車で一緒に移動中の時、飲み会でもふっとした時に思うんですよね。

そう、今回のように同僚の帰任の話を聞いたりした時も。

私、心理学専攻ではないしカウンセラーでも無いので経験則でしか話せません。

でもそういう時に私が思うようにするのは「自分がその『淀み』に陥っているって気づけた時点で半分抜け出してるような物だよ」って事。

上手く行って無い時が、自分が何に悩んでるのか、どこが弱みなのか振り返るチャンスなんじゃないかなあと思うんですよね。

クヨクヨ悩んでいけば良いんだと思います。

悩んだ先に何が出てくるか?

『淀み』の原因であるものが少しずつ見えてきます。見つめ直す対象は自分自身も含む訳ですから、「自分の拙さ」も出てくるのですが、もう少し冷静に考えてみると「自分一人の力じゃどうしようも無い物」ってのも出てくるんです。

安心してください。『淀み』の原因の全てが自分自身に起因する訳ではない。寧ろ自分自身に起因しない原因の方が意外と多いんです。

そうした時に「周りと協力すれば解決できるものなのか?」「文化的な背景だから無理なものは無理として一旦そこから離れる」とか…方法は色々ある。

ある程度頭が整理出来たら、また足掻けば良いんです。

そしてそうやって悩んだ時に考えた色々な事って言うのは次々と蓄積されていって次に起きた類似の事例の時に踏み出す一歩が早くなります。

間違っても「ああ、そういう無力感も『駐在あるある』だよね」なんて言葉で悩む事を放棄しないで欲しいと思います。

あるある症候群はゾンビ化の第一歩。

言い過ぎですかね?

でもそれ位の危機感持っておかないと人はすぐ流されてしまうんではないかなって思いますよ。

『淀み』に嵌り、抜け出す為にトコトン悩む時間は決して無駄ではなく、自分自身を強くする最も効果のある試練だと思います。

前だけ見て我武者羅に走っている時とは違う気づきが得られるチャンスだと思ってみるのも良いかも知れないな、と私は思ってます。

やれる事どんどんやっていって解決してったら机の上に残るのは何だと思いますか?

すぐに解決出来ない物が残ってくのは当然じゃないですか?

そういう淀みに嵌ってるという事は、比較的簡単にやれる事が片付いてきた現れとも言えるのでは?

大丈夫、その場に居て動き回っている人は目の前の景色に慣れてるから変化には気づきにくい。

でも確実に変わってるんですよ。

後から振り返れば気づける筈です。そう、足掻いていればね。

(そう、Googleならね?って言う言い回しを真似てみたかっただけです)

それでは。

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