誰かに遺すメッセージとして…。

こんばんは。

7月に勢いで始めたこのブログですが気が付いたら昨日の記事で50記事目だったようです。

ツイッターは140文字という短文を数打つ感じなので私のような飽き性な人間にも続くのですが、正直このブログを書き始めた時、下手したら3日で終わるんじゃないかと自分でも思ってました。

物事を始めるには何かしらかのキッカケがあります。

例えば私がツイッターを始めたキッカケ、それは一つの実験から始まりました。

その顛末は過去のエントリに書いていますが…。

ツイッターを初めて45日で妻にバレたお話

このブログを始める時にも上とは違う意図を持ってはいたのですが、最初の挨拶には書いていませんでした。何故か?

ぶっちゃけてしまえば、偉そうなコンセプト打ち上げておいていざ始めてみたら尻すぼみで終わるのが嫌だったからです…。

でも50記事書けたということは、それまでにある程度形に出来たということだし、今後多少頻度は落ちようともそれなりに続ける事は出来そうかな?という事で…。

皆さんブログを書く時にどんな読み手を想定されてらっしゃいますか?

ブログじゃなくてもツイッターでもいいです。

呟いてる事って誰に話している事を想定されていらっしゃいますか?

学生さんだったり、同じ会社員だったり、海外在住経験がある人、これから海外を目指す人、これから管理職になる人、今まさに管理職になって足掻いてる人…様々です。

1対1に発信する物ではありませんので、記事によって微妙に聞き手のイメージを変えながら、どうやったら伝わりやすいのかな?とか考えながら私は書いています、が。

どの記事に対しても必ず対象にいれる聞き手が私には『3人』います。

勿体ぶった所で数行も間が持たないのでさっさと答え言ってしまいますが…。

最初の2人は、娘と息子です。

これだけだと少し言葉が足らないかも知れませんね。

将来私と同年代に成った時の娘と息子』です。

今単身で生活してるからという訳ではありませんが、やっぱりふと気になるんですよね。

私は生きている間、これからどれだけ娘や息子と話せるのだろう。

そしてもう一つ思う訳です。

将来娘や息子が大きくなった時に会話する私は、今の私ではなく、娘や息子が年を重ねた分だけ同じように年を取った自分なんだよなってこと。

娘や息子と同年代の目線で実際に会話する事は叶わないんです。

別に年を重ねた我が子が、自分の親が自分と同年代の時に何を経験してどんな事を思っていたのか?なんて気にする事は無いかも知れない。それならそれで良いんです。

でももし私がかつて感じた『同年代の父親と話して意見の相違を知りたかった』という願望を我が子が将来持った時に、そのヒントになる物がどこかに残っていたら良いな。

そう思って、まず『将来私と同年代に成った時の娘と息子』を聴衆に入れました。

それでは3人目は誰なのか?

私自身です。

またもこれだけだと少し言葉が足らない。

今から10年、20年長く生きた私自身』です。

ちょっと脱線話をしますが…。

私、親が転勤族だったせいで、幼少の頃から転校を繰り返しました。

愛知、福岡、千葉と移り住み千葉でも2回転校して、そのまま就職して関東からも離れた。

で、何が言いたいかというと心残りがあるんです。

小学校の頃、校庭に埋めた「タイムカプセル」を開ける事が出来なかった。

かつての自分に触れる機会を一つ、ほんの小さな一つだけど、失ったんです。

ある日そう思った時に、自分の頭の中にボンヤリとこんな感情が浮かぶようになった。

「今の自分自身が何を考えて、行動するか、それをもっと大きくなった自分はどう見るんだろう?」

そう思ってはみたものの、今のようにブログを書いて見ようとまでは思わなかった、というかこういう形で残そうという思いがそこまで強く無かったんだと思います。

きっと「大きくなっても自分は自分」そう信じていたからかも知れません。

ですがこの年になって、時々不安に思うようになってきたんです。

例えば、年齢を重ねれば重ねるほどに頑なになっていく父親であったり、あちこちでもよく聞く世代間の隔絶、そういう現実を目の当たりにした時に、「将来の自分は本当に今の自分の延長線にいるのだろうか?」という不安がムクムクと頭をもたげて来たのです。

もし自分が頑なになり人の意見をも聞かなくなってしまった時に、誰の言葉に耳を貸すのだろうか?

そう思った私はかつての自分の言葉であったら何はともあれ聞いてみたり読んでみたりする希望はあるのでは無いかな?と思ったんですね。

余りに若い中学生の頃の自分ならまだしも、もう私も40代で世間から見れば立派な『おっさん』です。

そしてかつ、まだ思考も頑なにはなってはいないんじゃないかな?という淡い希望を抱いていたりします(実際どうかは知りません)。

という事で『今から10年、20年長く生きた私自身』が聴衆の一人になっています。

そういう想定をしながら書いてみて気づく事があったんですよね。

盛ったりサゲたりしないそのままの経験や感情を残したい』という気持ちで書けるという事です。

仕事でも無く、自己PRでもない、どこにも見せないけれど全ての根本にいる自分でいたいな、と思ってやみませんし、そういう気持ちでこれから先、ここでこうして読んで下さっている皆様方と、そして読んでくれるか分からない我が子と自分に向けての今の自分からの『遺言』としても、これからも素直なメッセージを書き綴る事が出来たらいいなと思ってやみません。

皆さんは、誰に今そのメッセージを送ろうとしていますか?

それでは!

いつもありがとうございます。

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